ゆるゆるループ、ときどきジャンプ。

おじいちゃん猫に音楽と映画そして日々の思いも

本を読むブログを読む

前記事に心配コメントなどをいただき、どうもありがとうございました。
おかげさまでもうすっかり大丈夫です ^ ^
今日の朝からはヨガも再開、ベランダから入ってくる初夏の風の心地良さを感じながら、どこも痛くない日常が戻ってきたことの嬉しさをかみしめています。

 

図書館が恋しい

 

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「緊急事態宣言」の影響で市内の施設が5/4から休館となっている札幌市。
昨日より「まん延防止措置」に移行されたけれど、引き続き7/11まで図書館も体育館も休みが延長されることになった。

先週、図書館のサイトをのぞいた時、予約本が用意されたとのお知らせがきていたため、これはやっと再開だと喜んでいたのにさらなる休館延長 (T_T)
予約本の受け渡しだけでも再開してくれたら嬉しいのだけど…。

他の方のブログで、図書館の話題をたまたま続けて読む機会があった。
全国で図書館がこんなにも長く休館しているのって、もしかして札幌市だけ?
マラソンや競歩、サッカーが五輪の会場になっていることもきっと大きいのだと思う。
今年に限らずオリンピックには元々あまり興味のない私、観るのは野球くらいだ。

ちなみに本日発表、札幌市の陽性者数は23人、目に見えて減少してきた感じはあるけれど、亡くなられる方の数が減らない…。

 

読書用にタブレットを購入


サスガに7/12からは図書館も再開するとは思うけれど、開催されているアマゾンのセールに乗っかり、読書用にとタブレットを購入、白ベゼルが好みなので色はホワイト。
9,900円が43%OFF5,680円でした v(*-∀-*)v

Fire HD 8 タブレット ホワイト (8インチHDディスプレイ) 64GB


Kindle本を読むのにPCでは無理があり、スマホでは小さすぎて読む気になれない。
タブレットを買うならiPadがいいけれど、特にタブレットを持つ必要性も感じない…
そんな私が、読書とヨガの時に使うYouTubeくらいの用途にはこれで十分だ。

年々、物欲がなくなってきて欲しい物もあまりなく、お金のかからない私…
猫もコタだけとなってしまった今、以前のようにごはんや猫砂、おやつや爪とぎなんかを頻繁に買うこともなくなり、アマゾンも楽天ものぞく機会がかなり減った。

今回、ちょっとゆっくりプライムデーをのぞいてみたところ、色々なものがかなりお安くて…
ついついコタにおやつをまとめ買い♪

 

ブログ探しの旅


手元に読む本がないとブログを読む時間は増える。
エッセイのような読み応えのあるブログ、ご自分の感想を交えながら映画や書籍、お店などの紹介をされているブログ、そして私も大好き動物や植物愛を綴っているブログ…
そんな色々な方のブログを読むのはとても楽しい。

一方的に読書登録、更新を楽しみに読んでいるブログもあるし、スターを設置されておらずつけることできないけれど、毎回読んでいるブログもある。
そして、読み続けたいと思えるブログを日々探している。

短めでささっと読めてしまうくらいの文章の中、ちょっとクスッとしてしまう部分や写真やイラストがあったり、人となりが見えてくるようなブログは続けて読みたくなる。
そして自分も、短めで「らしさ」が出せるような文章を書けたらなと思うのだけど…
それができたら更新頻度も上げられるかもしれないし、書き終わってどっと疲れる感じもなくなるかもしれない…

こんなブログでも書くのに集中、時にはダラダラとながら書きだけど (;^ω^)
どちらにしてもけっこう時間はかかり、なかなか疲れるのよー
疲れながら書くブログってどうなんだろうと思うけれど…。

 

今日の1曲


BS12でさっき放送していた「世界史の扉を開けて」という30分番組。
何だか重厚な番組名とは裏腹に、イタリアとイギリスをざっくり紹介していた。

イギリスはロンドンの名所とリヴァプールのキャバーン・クラブやアビィ・ロードが映し出されていた。


www.youtube.com


リヴァプール出身バンドのラーズ、この曲がいちばん有名な曲で色々なアーティストにカヴァーされている。

以前はひかりTV経由でBSを観ていたため、チューナーを起動するのがやや面倒であまり観なかったのだけど、アンテナをつけたことによりTVのリモコンで観られるようになり、BSを観る頻度が上がった。

岩合さんの「世界ネコ歩き」も、もう見逃さないわ (ΦωΦ)


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1日だけ発熱の怖さ

昨日の夜、実は具合いの悪かったこの1週間のことを書いていて、書きながらまた変な感じになってきたりもして…
サスガにUPはせずに、服を着たままうす暗い電気をつけたまま、不安いっぱいの中でコタと一緒に眠った。

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体調不良の1週間


今朝読み返してみてこれはダメでしょう、自分で読んでも怖いわ…と思う内容だったので、あっさりと書きます。

今週の月曜日、1日だけ熱が出た。
平熱が35度ちょっとのため、37度とかいう数字を見ると焦る、今のご時世では特に。
それが夜になり38度まで上がってしまい、ヤバイかもしれない…と心の声。
この日は朝から突然の頻尿と腹痛と腰痛が始まり、ちょっと脱水症状に似た感覚があり怠かった。

とりあえず早めに就寝、翌日になると嘘のように熱は下がったのだけど、入れ替わるように胃の調子がおかしくなった。
そんなことにもちろんコタはお構いなしで乗っかってくる、ちょうどむかむかする胃の上あたりを直撃だ。

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眠る時は、身体の左側を下にすると胃が圧迫され吐き気が起こるため、右側を下にするもしくは上を向くかになるのだけど、私は横向き姿勢でしか眠れない…。
コタに体重かけられ苦しくなってくると、ちょっとだけ離れてもらう。
そうすると鳴く、赤ちゃん返りしているおじいちゃんコタなので仕方がない。

 

泌尿器科と胃腸科内科に行った


一昨日はちょうど3ヵ月ごとの泌尿器科予約日だったため、エコー検査で腎臓を診る流れとなった。
その結果、特に問題はなかった。
抗生剤を服用せずに1日で熱が下がるのも、腎臓が原因の場合は普通考えられないそうで「内科かな」と先生は仰った。

胃腸科内科は毎月通院しているかかりつけ病院。、
急患が入っていたとかでいつにも増して混雑、たぶんワクチン接種のご高齢の方も多い。
ひっきりなしに電話がかかってきて、枠はうまり予約受け付けはしていないと対応しているのが聞こえる…大変そうだ (⋟﹏⋞)

その間どんどん私の胃は、鈍痛が強まり気持ち悪くなっていき、しかもゆる~く冷房が効いている待合室が寒くて風邪ひきそう。
おばあちゃんたち大丈夫なのかな、寒くないのだろうか…。
外は20℃くらいの気温なのに冷房いらないでしょ!! だんだんイライラしてくる。

寒い、痛い、もう限界!と思い始めたところでやっと呼ばれる、2時間待ち。
ワクチン接種の方と通常の患者さん、今回の私のように辛い状態で来ている者とを同じように受け付けること、ちょっと問題あるように思う。
何年も通院している病院だけど、ちょっと病院変えたくなるくらいの思い…
2月の膀胱炎疑いの時もちょっと不信感があったし、何となく軽く扱われてるような気がしないでもない。

 

快復の兆し


とりあえず強力な胃薬が2種類処方され、1週間飲んで様子見となった。
おかげで昨日の午後あたりから、動くだけで痛かった胃が少し落ち着いてきて安堵している。
ただ元々の持病で肺と気管支がちょっと弱いため、やや息苦しいようなのどが何だかおかしいような…
何とも微妙な感じが昨日の夜はあって、もしかしたら…の考えに押しつぶされそうになり怖くて眠れず、睡眠導入剤を飲んで無理やり眠った。

普段、1人暮らしが心細いとか思うことはあまりないのだけど、このご時世でこの体調はサスがに心細いの通り越し不安しかない、怖い。
それを訴えるような友達もいないし、いても言えない、言われても困っちゃうだろうし…。
ヘタすると孤独死するタイプかな。 

日常の体調からして万全とは言えない状態だと、その境がよくわからなくなる。
不安に思ってしまうと、初期症状だとか経過が書かれたものなどを読み、さらに自から不安を煽りそうになってしまう…。

下のリンク先は大阪の病院のようで、記事も1年前のものではあるし、色々状況が変わっていることを踏まえながらも、読んで気持ちが落ち着いた。


コロナ感染に対してクリニックの取り組み方(医学的根拠をもとに) | 佐藤内科クリニック

1日だけといえ発熱があったため、念の為に来週いっぱいはバレエも休み、コタの病院の予定も延ばし、一応外には出ないつもりでいる。

 

今日の1曲


いきなりメロディが頭の中で流れ出し、それが誰の曲なのか思い出せない…
Spotifyのアーティストに入れてるはずなので確認、思い出した (;^ω^)


www.youtube.com


スーパーグラスもオックスフォード出身。
USヴァージョンのこのPVが流れていて観た記憶。
話題になった時、VO.Gのギャズはまだ17歳で翌年メジャーデビューした。
顔は可愛いのだけど、猿の惑星風ルックスとバンドの完成度に度肝を抜かれたな~

97年東京公演のチケット取っていたのに、当日行けなくなった苦い思い出。

 

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『ボヘミアン・ラプソディ』は猫映画でもある…と言いたいくらいに猫も可愛い

フレディが猫にごはんをあげる、いきなりの癒やされシーンから始まる『ボヘミアン・ラプソディ』、昨日の金曜ロードショーで吹替版を初めて観た。
考えてみると年に1度は観ているこの映画、観る度ごとにフレディの孤独が心に染み入ってくる。

映画はゲイに対して寛容な描き方をしているけれど、その時代は今よりもっともっと差別は強く、フレディの苦悩は深かったと思う。

少し前にニュースになっていた日本のLGBT法案、まずは最初の1歩として国会での成立を望みます。 


 

映画館で鑑賞


2018年に封切られた『ボヘミアン・ラプソディ』は世界的大ヒット作となり、その数字が更新されればされるほど、ひねくれている私は観ない!絶対観ない!という気持ちになった。

3回誘ってくれた知人がいて、結局のところは終盤になってから観に行くことになり…
面白かった、ライヴ・エイドのシーンなんかは大迫力で胸に迫ってきたし、音楽映画としてもかなり楽しめた。

そして、時々登場する猫たちが何とも美しい。
いつもどおりのリラックスした表情で、各々過ごしている感じの猫たちは可愛らしく、映画館で観た時のグルグル音はけっこう迫力があった。

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うちのマロかと思っちゃうくらい本当にソックリ【*゚ω゚*】


QUEENも猫も大好きな私からしたら満点で、猫映画としても秀逸。
とにかく演技をさせない猫の自然な姿に頬が緩んだ。
でも、感動感涙!心の底から感動したか?
と問われると、そこまではいかない…というのが正直な感想。

一緒に行った知人(男)が号泣する横で、私は泣かなかった。
エンディングにフレディ本人の歌う映像が流れ始め、じわっと涙がたまってきたけど我慢…涙はこぼれなかった。

 

ちょっとつっこみたくなった場面


予告中にもある「We Will Rock You」、足踏みと手拍子でイメージを膨らませていく場面…


www.youtube.com


フレディが短髪ヒゲ姿で登場しているんだけど、この時代のフレディはまだ短髪ではなく、ヒゲもないんだけどなぁー

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77年、当時のフレディはこんな感じ


これは、個人的につっこみを入れたくなる。
だって自分がフレディを好きになった頃だもの間違えようはないし、観た瞬間に違和感があった。

yuraneco.com

 

ちょっと引っかかった部分


映画の内容と事実が異なっている、時系列がおかしい部分が多々あることは、制作に関わったマネージャーもブライアンもロジャーも認めていることで、そこをつっつくのはナンセンス。
事実に基づきある程度は脚色する、映画はそのさじ加減がけっこう大事だとも思う。
『ボヘミアン・ラプソディ』はドキュメンタリー映画じゃないからね。
ブライアンは、伝記映画ではなくアート映画だと言っていたし…。

でも、ちょっと腑に落ちなかった部分が1つある。

フレディがエイズに感染していることを、ライヴ・エイドの前にメンバーに話し、メンバー間の揉め事でブランクがあったのをリハビリし、本番に臨んだー
っていう風に描かれているんだけど…
実際、メンバーに話したのはライヴ・エイドの後だし、2ヵ月前までツアーをしていたのが事実。

この部分の脚色って、観る側の感動の度合いに大きく影響すると思う。
ライヴ・エイドでの演奏を観る目が違ってくると思うし、何となく感情操作されているような気分に陥った。

でも、きっとそこが映画としての肝であり、大事なパーツの1つなのだとも思う。

公開時は中1だった甥っ子のように、そんな時系列はもちろんのこと、QUEENのことを一切知らない状態で観た方が大感激できるのかも…って、羨ましいような気持ちにもなった。

 

散々だった日本でのライヴ・エイド生放送


85年7月13日(土)21時から14日(日)12時まで、フジテレビにて15時間にわたり生放送された、リアルタイムでのライヴ・エイドのことをちょっとだけ。

徹夜する気満々で期待して観ていたのに、何かシラけた感じだったのは否めない。
イギリスやアメリカと日本のスタジオの温度差や空気の違いも大きかったように思う。
スタジオに呼ばれた佐野元春は、番組の進行やゲストのトークに嫌気がさし途中で帰っちゃったらしい…。

番組は、イギリスとアメリカのメイン会場での映像の合間に、時には中継を切ってまで日本のアーティストの映像が入ったり(これはライヴ・エイド側からの要請だったらしいけど本当にいらないっ!)、そもそも逸見さんは局アナとして仕方ないとしても、なんで司会が南こうせつなの?という違和感、同時通訳の棒読み、演奏中の唐突なCMには本当に腹が立った。

時代的に仕方ないのだけど映像も悪く、砂嵐みたいになったり途切れたり…
その度、スタジオの司会に画面が切り替わったりする。

よけいなことしないで、ただ2会場だけを映し続けてくれたらいいのにと心から思った、そうはいかないだろうけど。

ライヴ・エイドでのもう1曲


QUEENの演奏とは別に、ライヴ・エイドで披露されたフレディ&ブライアンの「悲しい世界」


www.youtube.com


それにしても33年後、ライヴ・エイドでのQUEENを題材にフレディの映画が制作されるなどとは思いもしなかった。
正直ライヴ・エイドの頃のQUEENは、全盛期を過ぎ落ちめで解散の噂もあった。
でも、このライヴがキッカケでまた自信を取り戻し、メンバー間の絆も戻り、その後の活躍へとつながっていったのだと思う。

劇場未公開映像(ライヴ・エイドでの2曲)を含む完全版が明日、BS朝日で20時から放送される。
建物自体にBSアンテナが設置されておらず、私はタイミング悪くひかりTVを解約したため観れないのよ~ (╥_╥)


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オックスフォードって響きがキラキラする

今日の札幌は今年初の25℃に届き、7月並みの気温とのこと。
でも風がけっこう強く、体感温度はもっと全然低かったように思う。
コタツ布団はさすがにもう洗濯しても大丈夫かな。

 

ネット回線を変えた


延び延びになっていたネット回線を、やっと6月から別会社に変えた。
1年ほど前から考えていたのだが、年末にWOWOWお試しをしたり、ひかりTV半年続けてくれたらキャッシュバックとか (;^ω^)
なんだかんだで誘導にはまり、まぁいいかと続けてしまっていた。

でも、ほとんどひかりTVを観ることがないし、建物に工事が入った後も時々つながらなくなる現象があったりで、やっと重い腰をあげた。

結果、今のところ快適です ^ ^

もう1つ良いキッカケになったというか、キッカケにしようとしていることがある。
業者さんが部屋に入り機器との接続をしてくださる際に、差込口付近の物をどかし作業がしやすいようにしたのだけど…
このまま部屋全体、少し片付けようという気持ちになった。

 

ザ・物置部屋


物置として使っている部屋がある。
私とコタがいつも過ごしている居間はとにかく狭い、畳のサイズもいわゆる昔の団地サイズ。
残念ながらフローリング貼りで畳はないのだけど…。

居間にはベッドやピアノ、水槽など大きな物を置いているため、細々とした本とかCDとか、編んだり織ったりの道具などは置けず、全て物置部屋へ追いやっている。
そして、何でもかんでもとりあえず物置部屋へ置いてしまうため、油断すると足の踏み場もないほどいっぱいいっぱいになる。

年々、物欲は減り、欲しいものがほとんどなくなり、何も買っていないはずなのに、なぜか物置部屋が片付かない。
私の持ち物でいちばん面積を占めている洋服だって、信じられないけど一切買っていないのにおかしいなぁ…。

ストーブのない物置部屋、冬は寒いのでさっさと物を出し入れし、ろくに片付けず何となくそのへんにまとめて置いていたのが、積み重なった現状だ。

やっとこの闇を片付ける気分になったので、毎日少しづつできれば物を減らしていきたいと思っている。

 

オックスフォードで10年…


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今日はバレエのレッスン日だった。
ここんところ緊急事態宣言の影響で、毎回2名で受けている状態。
もう1名の方は、過去記事に書いた女性なのだけど…

yuraneco.com

 
何と彼女はオックスフォード大学に留学し、そのまま10年ほど暮らしていたことのある才女だった (+_+)

本当に年齢を感じさせない可愛らしい方で、「学歴なんてなぁ~んにもならないよ」って…カッコいい。

東京での最初のバイト先で、オックスフォード英和辞典とか英英辞典とかよく使った、私は英語話せないけどね。
オックスフォードっていう響きだけで、何だかキラキラする (;^ω^)

イギリスのことやオックスフォードのことを聞きたくてうずうずした私…
レッスン中そんな時間などなく、ハリーポッターはオックスフォード大学で撮影したのよねーで終了。

彼女はレッスン時の服装もいつも個性的で、そのことを楽しんでいる(私なんかTシャツに短パンよ)、キャラもとっても良いので、ローカルTV番組に出たりしたらきっと人気出ると思うなー、お願いしたら踊ってくれると思うし。


オックスフォードといえばレディオヘッドの出身地。


www.youtube.com


このPVには黒いコートを着たノーマン・リーダスが出ている。
今、数えてみたところ7回映りますよ ^ ^


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大好きなグラスゴー出身バンドでプレイリスト♪

イギリス旅行の目的はグラスゴーへ行くことだった。
ロンドンで知り合いがルームシェアしていたフラットに、何日かお世話になったのだけど、「明日からグラスゴーに行くの」と言ったら「何しにあんな寒いところに行くんだ?」って、別の部屋のフランス人とイタリア人の男に怪訝そうな顔をされた。
ロンドンから見るとそんなイメージなの?と、逆に驚いたけれど…

グラスゴーから生まれる音楽はもちろんのこと、グラスゴーの街並みも空気の感じも、何もかもが好き。
私にとって憧れのグラスゴーは、本気で住むことを考えたくらい心惹かれる場所。
そんな大好きなグラスゴーのバンドで、お題「わたしのプレイリスト」を作りました。 

 

プレイリストのバンドたち


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BMX Bandits「Serious Drug」

ヘタウマの元祖みたいなグラスゴーバンドの神、伝説のバンド。Teenage Fanclubのノーマン、Vaselinesのユージンも在籍していたことあり。
『Life Goes On』(1993) ~

 

Camera Obscura「Eighties Fan」

グラスゴーバンドらしい琴線に触れるメロディとやさしい歌声。大好きなアルバムで、当時ものすごく聴いたよー
1stアルバム『Biggest Bluest Hi Fi』(2001) ~

Cosmic Rough Riders「The Loser」

アラン・マッギーがCREATION閉鎖後、新しく発足したレーベルPOPTONESからデビューした、バーズ系の切なく美しい旋律のギターポップ・バンド。VOダニル・ワイリーが脱退後も解散することなく活動を続けている。
3rdアルバム『Enjoy the Melodic Sunshine』(2000) ~

 

Orange Juice「Flesh of My Flesh」

エドウィン・コリンズを中心に結成された80年代ネオアコの代表的なバンド。まだ何も怖いものがなく、根拠のない自信のようなものを持っていた20歳前後の自分がよみがえる… (;^ω^)
2ndアルバム『Rip It Up』(1983年) ~

 

The Pastels「Thru' Your Heart」

スティーヴンに会いに行ったほど大好き(♥ω♥*)、グラスゴーの重鎮バンド。
『TruckLoad Of Trouble』(1993) ~

 

Teenage Fanclub「Cabbage」

ライヴでは毎回泣いた永遠の青春バンド。メンバーの見る影もないオッサン化にはかなり引いたけど…でも、やっぱり大好きだ。ノーマンはグラスゴー魂?を捨て、たしか奥さんの故郷カナダへ移住したような記憶。


好きな曲死ぬほどあるけど、この「キャベツ」が1番好きかな、3rdアルバム『Thirteen』(1993) ~
2000年、サマソニ00のステージでは演奏してくれず残念だったわ (T_T)


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The Vaselines「Son Of A Gun」

発売当時、自分のバンド界隈では「ドヘタだけど超カッコいいバンド」として話題になった、ヘタウマバンド好きの心をくすぐる偉大なバンド。結成当時、ユージンとフランシスはつきあっていたが2年でバンドは解散。
パステルズのスティーヴンが主催するインディーズ・レーベル『53rd & 3rd』から87年デビュー、衝撃的だった1stシングル。
『The Way Of The Vaselines』(1987) ~


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この動画は2010年再結成の時のもの、何かちょっとうまくなってるような…
2009年のサマソニにも出演、私はもう東京から離れていて観ていない (T_T)

 

Travis「Flowers In The Window」

デビューが決まりロンドンに拠点を移したため、グラスゴーのバンドとはちょっと毛色が違うのだけど、良質な曲ばかりのトラヴィス。ライヴは楽しくてカッコよくて最高!
とっても礼儀正しく性格の良いバントしても有名で、VOフラン・ヒーリィは売れても態度の変わらない人格者だそう…顔も可愛い (๑>◡<๑)
3rdアルバム『The Invisible Band 』(2001) ~


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Belle and Sebastian「there's too much love 」

私がグラスゴーに行った時、街はベルセバのポスターだらけだった。1stアルバム『タイガーミルク』が出る前からCDは次々と発売され、CDショップに行くたび新しく並ぶものを買ってしまい、けっこうな数のベルセバCDがうちには眠っている(CD自体を聴くことがほぼなくなってしまった)。すごい力の入れ方だったなー、それにまんまとハマってしまった感じだけど。
4thアルバム『わたしの中の悪魔』(2000) ~

 

Mogwai「Take me somewhere nice」

インストゥルメンタル主体のポストロックを象徴するバンド、そしてフィードバックの轟音を鳴らすバンド。リストに入れた曲は気持ちよ~くなる曲。
3rdアルバム『Rock Action』(2001) ~

 

あ~、10曲選ぶの至難の業よ~、でも1人で盛り上がり楽しかった ٩(ˊᗜˋ*)و
自分の持っているCDからの曲に絞って選んだ、大好きなバンドの大好きな曲10曲でした。

 
今週のお題「わたしのプレイリスト」

 

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ベイ・シティ・ローラーズのファンじゃなかったけど

YouTubeで好きなグラスゴーのバンドを色々観ていたはずなのに、なぜかベイ・シティ・ローラーズが入り込んできた。
イギリス旅行をした時、エジンバラは列車で通過しただけ、立ち寄らなかったなぁー

 

ベイ・シティ・ローラーズのフィルム・コンサート

 

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小6の時、ベイ・シティ・ローラーズが初来日、頻繁にTV番組で取り上げられていた。
NHKのヤング・ミュージック・ショーで観て、ちょっと気にはなったけど、中学に入りすぐQUEENに心持っていかれたため、ベイ・シティ・ローラーズにはなびかなかった。
子供ながらにちょっと野暮ったいような感覚もあり、ヒデキやロッドの方が私にとっては全然カッコよかったし…。

ちなみにヒデキとレスリーは同じ歳だ。

中1の時の友達がベイ・シティ・ローラーズのフィルム・コンサートに行っていた。
フィルム・コンサートなんて、知らない方が多数かと思うけれど…
コンサートを撮影したフィルムを映画館で上映するイベントのことです ^ ^
まだ家庭にビデオが普及しておらず、ビデオクリップやMTVもなかった時代…
アーティストの動く姿を見られる貴重な機会が、フィルム・コンサートだったのねー

何かいきなり思い出した!
QUEENとベイ・シティ・ローラーズのフィルム・コンサートだったような気がする。
そして、中学生になる前の春休みだったのかもしれない…
そうじゃなきゃ私行ってるはずだ (;^ω^)

レスリー・マッコーエン

 

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レスリー


昨年2月、日本でライヴも行っていたVOのレスリーが、先月亡くなった。
レスリーは日本人妻がいながら、数々の浮気に加え12人の男性との関係など、お騒がせ的な感じで名前があがってくる印象だったけど、活動していたんだねー

2月というとさっぽろ雪まつり後、コロナ感染者がぽつぽつ出始めた頃…
コロナ禍になる前でヨカッタ ε-(´∀`; )
もう少し遅かったら来日できなかったと思うし、最後のライヴを往年のファンは目にすることができなかったかもしれない…。

享年65歳、死因は不明。

 

イアン・ミッチェルとパット・マッグリン


そして、イアン・ミッチェルも亡くなっていた。
イアンは昨年9月、レスリーよりさらに若く62歳、咽頭がんだったそうだ。

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イアン

 

私がTVでベイ・シティ・ローラーズを観た時は、イアンが脱退する前後で気づいたらパット・マッグリンに代わっていた (;^ω^)

2人とも在籍期間は短く、それぞれ別のバンドを始めた。
イアンは、イアン・ミッチェル・バンドの時、部屋に来たグルーピーと乱交し、写真週刊誌に載るゲスぶりが露呈。

それに比べ、人間性が良く意外と音楽性も高かった(らしい)パットは、部屋に来たグルーピーをしっかり追い返した。

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パット

 

そんな雲泥の差があった2人なのだけど、2人とも女の子みたいな顔が本当~に可愛らしかった。

でも、この2人が出たり入ったりする前、兄弟リズム隊でベースに左ききのアランがいた頃のベイ・シティ・ローラーズの方が、ポップバンドしての箔があったような気がする。
…ファンでもない私の勝手な思いだけど。

アランも2018年に病気で亡くなっている、享年70歳。
子供の頃、活躍していた人たちが亡くなっていくと、何だかやっぱり悲しい。

 

ベイ・シティ・ローラーズ「恋のゲーム」が好き


ベイ・シティ・ローラーズのいいなと思う曲、ほぼほぼカヴァー曲だったりするけれど、「恋のゲーム」はどうなんだろう、彼らのために作られた曲なんだろうか…。

サビに突入するところ~サビのメロディが、何ともきゅんとくる感じでとっても好きだ。
ベイ・シティ・ローラーズの曲中、この曲だけが私の中では浮き上がっている。
この動画でのレスリー、最初のサビに入るイイところ間違えてないか? (;^ω^)

 


www.youtube.com

 

可愛い添え物のようだったイアンやパットとは違い、エリックはちゃんとギターを弾いているし、けっこうカッコいい。
…というかベイ・シティ・ローラーズって、実は演奏しっかりしている (;^ω^)

 

ラズベリーズのカヴァーもやっていた

 

ジョン・レノンもファンを公言していたラズベリーズのカヴァー♪Let's Pretendでは、エリックとウッディーがピアノを弾いている。
そしてレスリー、何とベース弾いてるよ。


www.youtube.com



こちらは本家ラズベリーズの♪Let's Pretend
エリック・カルメン小さい、両隣がデカイのか…。


www.youtube.com

 

ラズベリーズ、今ひとつ認知度も評価も低いかと思うけど…
いい曲がいっぱいある。
中3の時、札幌が初日だったエリック・カルメンの来日公演を母と一緒に観に行った。
今思うと、よく札幌まで来てくれたなぁ~ ( ´ー`).。oO


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札幌の初夏を彩るライラック祭りーさっぽろ音楽祭の思い出

毎年、ライラック祭りが開催される5月の札幌。
昨年は中止、今年はオンライン開催とのことでちょっとサイトをのぞいてみたところ、
色々な展示の写真ばかりが並び、主役であるライラックの写真や動画が見当たらないんですけど…。

ライラック祭りってライラックを見るというよりも、ライラックが咲く大通公園で、カフェめしコーナーやワインガーデンの飲食を楽しむ祭り?のよう…
もう何十年も行っていないので知らなかった。

 

 

さっぽろ音楽祭とは


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ライラック祭りのイベントとして、ライラック吹奏楽祭というものがあり、例年は市内の小中高校や市民音楽団による演奏が行われるようだ。

初夏の風に乗りとっても清々しい感じ ^ ^

…が、大昔は「さっぽろ音楽祭」という道内のアマチュア・バンドによるコンテスト形式(優勝バンドが選出される)のイベントが毎年開催されていた。
ググっても一切出てこない「さっぽろ音楽祭」…
当時はCMが流れ、高校生の頃から気になっていた。

大通公園に特設ステージが組まれ、野外ライヴ気分が味わえる「さっぽろ音楽祭」は、みんなの憧れの1つでもあった。
オリジナル曲2曲を録音したカセット・テープ(の時代です)による選考があり、枠は少なく倍率高く、落選するバンド続出 Σ(T□T)
その選考基準は不明だった。

 

さっぽろ音楽祭のステージ


もう35年近く昔のこと…
私たちはたぶんインパクトの大きさで、幸運にも2度出演することができた。
その時のバンドは下の記事で書いた女のコバンド ^ ^

yuraneco.com

 

市の観光振興の一環として開催されていた「さっぽろ音楽祭」、選ばれたバンドは市役所に集められ、市の職員のおじさんから説明を聞く流れだった。
それにしても資生堂が全面的な協賛だったため、ステージは資生堂の広告だらけ、市のイベントとは思えない趣だったわー

優勝バンドには30万円贈呈、4人だった私たちは1人7万5千円だね~♪
などと盛り上がったけど、優勝したことはない。

2度目の時はあいにくの雨で、指が滑りギターを弾くのが大変だった…
そんな中で友達のバンドのギターのコが、メタルじゃないのにベスト・ギタリスト賞を獲得。

札幌はメタルが強く、ハードロック系のバンドがいつも優勝していたような記憶しかない。
それもそのはず!毎年、審査員には伊藤政則が審査員長として君臨していたので当然だ。
伊藤政則は、メタルやハードロックのバンドの時だけ身を乗り出して聴いていたけれど、それ以外の時は全く聴いていなかった(ように見えた)。
ムッシュかまやつも毎年来ていて、ちゃんと聴いてくれ、たしかお言葉をいただいたような…。

ライラック祭りの時期になると毎年思い出す、楽しかった思い出 ( ´ー`).。oO

 

P-MODELのライヴ

 

その時代、個人的にというよりバンド的にいちばん影響を受け、好きだったのがP-MODELだ。

当時、バンクやニューウェイヴの聖地のような札幌大谷会館というホールがあった。
ストラングラーズもここでライヴをやっていて、インディーズ系のバンドのライヴが多かった。

記憶が曖昧なのだけど、大谷会館はお寺が所有するホールで、同じ建物内にたぶん葬儀場のようなものがあり、いつもお線香の香りが漂っていた。
喪服を着た人たちとマスクをしたパンクスたちが融合する(笑)、なかなかシュールな場所だった。

84年、その大谷会館でのP-MODELのSCUBA TOUR札幌公演に、メンバー全員で行った。


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VOのコは平沢進と結婚したいと言っていたなー ^ ^

その後、なぜかラフィンノーズの前座をやることになり、P-MODELが踏んだ大谷会館のステージに立つことができ、すっごく嬉しかった。

東京に引っ越す前、資金を調達するためだったと思うのだけど、パンク系のアルバムと一緒に自分の全てのP-MODELのアルバム(LPレコード)1枚目~7枚目を、UK EDISON札幌(というレコード店)に委託で置いていた。
それがそのまま行方不明になり、UK EDISONも閉店…
うやむやになり、ちゃんと行方を追わなかった自分が悪いのだけど、時々思い出してはもや~っとした気分になる。

レコードに限らず、大事なものはなくなったり捨てちゃったりで手元にはないのに、どう考えてもいらないものに限って、しっかり残っていたりする (☍﹏⁰)。 


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P-MODELのメジャーデビュー曲、平沢進25歳くらいか…。
若くてぴょんぴょん動いてる(笑)
ライヴではいつも、こういうエクスプローラー型のギターを弾いていた。

下山淳も、ファイヤーバードとか変形ギターのイメージ強し!
私が持ったら上半身全部隠れるわー (;^ω^)
でも、背が高かったら使ってみたかった…。

 

パプリカ

パプリカ

  • 発売日: 2015/09/15
  • メディア: Prime Video
 

 

平沢進が音楽を担当している映画「パプリカ」、原作は筒井康隆。
3月だったかな、BSで放送されているのを観た。
この世界観、私は寺山修司の「草迷宮」を思い出した。


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ヒデキと愛犬ロッキーそして父も…

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昨日5月16日は、亡くなって3年になる西城秀樹さんの命日でした。

毎年この時期になると「ちびまる子ちゃん」のエンディングでは、ヒデキが歌っていた「走れ正直者」が流れる。

昨日は初めて、命日が放送日にあたった。
これからもこのステキなプレゼントが、ずっと続いてくれたらいいな…。
 

 

父の入院

 

突然、ヒデキの訃報が届いた時、実は私の父も入院中だった。

脳梗塞の再発で父が倒れたのは2月中旬のこと、今日か明日かの切迫した状況だったのが1週間になり、2週間になり…
さらに1ヵ月になり2ヵ月になり…
驚異の生命力で、酸素マスクを外し自力呼吸ができるようになったものの、目を開けることも話すこともできない状態で、ほとんど意識のないまま3ヵ月が経過していた。

父は富良野在住だったため、弟と3,4日おきに札幌から富良野の病院へ通った。

点滴を続ける期限がせまり、栄養を補給するには胃瘻にするしかない状況となった父。
延命治療をしなかったヒデキのご家族と同じく、うちも延命治療はしないことを決めた。
また元の生活に戻り、何よりも父の楽しみだった犬の散歩に出かけることができるのなら、その選択肢も考えたかった。
でも、もうそれは望めない状況なのが明確だったから…。

日に日にやせ細っていった父だけど、82歳ながらおじいちゃん感の全くない顔は、最期まで悲壮感を感じさせず救われた。

姉弟どちらも母似なのだけど、実は私は父に似ていると時々言われることがあり、失敬な!(笑)と思っていた。
でも、肉が削げ落ち現れた顔には複雑な思いが…
あのパンパンだった顔は一体何だったんだろう、むくんでいたのか?
体重もちょうど私と同じくらいになり、残念ながらちょっと似ていたかもしれない…。

 

父が亡くなった日


父はヒデキよりさらに1ヵ月ちょっと寿命が与えられていたようだ。

亡くなった日はちょうど弟が病院に泊まり、付き添っていて看取ることができた。
状態も安定しているので大丈夫…と、奥さんやお孫さんたちを帰した直後のことだったそう。

私はコタとマロがいるので病院に泊まることは無理だったけど、父はやっぱり私に会いに来た。
就寝中、気配と匂いと自分の「パパ~」って呼ぶ声がどんどん大きくなり、目が覚め実感した。

忙しい中、父のことに尽力したのは弟で、私はほぼ何もしていない。
それなのに私が病院に初めて行った日の父の様子、その後のちょっとした症状の変化を見て、やっぱお姉ちゃん(私)には敵わないんだなーと、弟は思ったらしい。

父は無口だったし、高校生くらいからほとんど話した記憶もないけれど、避けても避けきれない想いは何となく感じていた。

でも正直言って、ヒデキが亡くなった時の方がずっと喪失感は大きく、自分でも驚くくらいに泣き、ちょっとしたロスにまでなった。

今もYouTubeで動画を観ていると、ふとした時に涙が出てくる。
そんなこと父は全てお見通しだと思うけど…。

ヒデキの愛犬ロッキー


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私が小学生の頃、ヒデキはロッキーというシェットランドシープドッグ(シェルティ)を飼い始めた。
美しく穏やかで優しい性格のシェルティ…
この写真のヒデキとロッキー、とっても似ている (๑>◡<๑)

ヒデキが亡くなった後、父の病院への往復はヒデキの曲を聴き、弟と子供時代の話が尽きなかった。
ヒデキに紐づくことは事細かく覚えている私に、弟は引いていたけれど、小学生の時「ロッキーになりたい」と言っていた(らしい)ことは忘れていた (;^ω^)

そして、実家も私が生まれる前から常に犬のいる家だった。
今とは違い昔は、家の前に犬のおうちがあり、特に大型犬は番犬のように外にいるのがあたりまえの時代…
私が夜中に帰ったりすると、いきなり吠えられたことも (;^ω^)

母が健在だった頃から、父は仕事の都合ですでに富良野に住んでおり、室内で犬の他頭飼いを始めていた。
私たちと離れたのが寂しかったらしく、犬は3匹…母と弟と私?
弟が初めて見た時はぎょっとしたらしい。

その犬たちがロッキーと同じ、シェルティだった。
毎年のように犬は増え(産まれたのではなく譲ってもらっていたらしい)、3匹だったシェルティは倍の数になっていた。

その中には全くの偶然ながら、ロッキーという名前のコもいたことに気づいた時は、ちょっと驚き鳥肌が立った。

ヒデキの思い出の曲


ヒデキと父は同じ病気を発症し、入院の時期も重なり、意識が戻らなかったところも同じ…
そしてシェルティのロッキーを可愛がっていたことも。

そしてそして、うちの先住猫のユウちゃんはヒデキと誕生日が同じだった。
私にとってはちょっとしたシンクロニシティのように思え、おこがましくもまたきっといつかヒデキに会えるような気がしている。

この「カタログ」という曲は、私が5年生の時に初めて行ったコンサートの頃からず~っとヒデキが歌い続けていた曲で、今も忘れられない思い出の曲♪


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それにしても子供の頃の記憶って本当にすごいなー
この曲も全部歌詞を覚えていて一緒に歌えちゃうのよ v(*-∀-*)v

 

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