養老先生のお宅のまるちゃんが昨年12月、長い眠りについたこと、つい最近まで知りませんでした。
先週、BSで『まいにち養老先生、ときどきまる』で老齢を迎えたまるの様子、まるとのお別れを観て、泣きながらも色々考えさせられることが。
まるは身体の調子が悪くなった日、山の方へ入ってしまい、心配で探して見つけ出し病院で治療をしたとのこと。
本来、猫は死ぬ時はいなくなる(と言われている)ため、養老先生はまるを見つけ連れ帰ったことを、ちょっと後悔する気持ちがあったそうだ。
そんな養老先生とまるとの距離にベタベタ感はなく、でも言葉の端々や眼差しは深い愛情にあふれている。
まるがほとんど寝てばかりの状態の時も静かに寄り添い、残されたまるとの時間をいつもと変わらず、穏やかに過ごされていた。
この境地は到底、私には真似ができない。
今まで4匹の猫を見送ってきたけれど、突然死だったユウちゃんを除きみんな闘病した。
3匹とも亡くなる当日まで病院へ行き、うち2匹は強制給餌をし、そして力尽きて旅立って行った。
15歳モモの強制給餌が本当に辛そうで可哀想だったため、昨年旅立った14歳マロには行わないと決めていたはずなのに…
どんなに身体がキツくても間に合わなくても自分でトイレに行き、爪とぎの動作をするマロの生きようとする姿に心を動かされ、強制給餌を決意した。
何度か山を乗り越えてくれていたので、マロの生命力に託してみた。
でも、やはりしない方がよかったのかもしれず、始めたとたん目に見えて弱っていき、後悔した。
私の知る範囲では、食べられなくなったら覚悟をしなければならない…
それなのに私はじたばたし、やれることをやってあげたいという人間側のエゴで、ただ辛い思いをさせることになったような気がしている。
まるは呼吸が苦しそうだったけれど、調子の良い日はウッドデッキで日向ぼっこをし、庭でちょっと散歩もして、最期までまるらしかった。
まると同じ18歳のコタは、まると同じように足の関節がやや不自由になり、一緒に寝ていても足の楽な位置を探し、何度も何度も確かめてはドサッと倒れるように私に寄りかかってくる。
それを一晩に何度も繰り返している。
後ろ足に私の手を添えてみたり、どうしたらコタの足が楽なのか、私も一緒に考える毎日だ。
何日か前、コタがいきなりびっこをひき始め、すぐ座り込むので焦った。
とりあえず私のベッドと床との高低差に、クッションとタオルケットでコタの踏み台のようなものを作ってみた。
トイレやごはんで一晩のうちに3,4回はベッドから出たり入ったりしているため、ちょっとは足の衝撃を和らげることができているように思う。
そして何だったのか、2日ほどでびっこは治ってくれ胸をなでおろした。
番組を見てから、何だか18歳のコタをより意識するようになり、今はまだ考えなくていいことを考えそうになり、胸をざわつかせている。
友人が、「同じ18歳でもコタはまだまだまだっ!だって、去年より鳴き声にハリが出てきてるよ」
と電話口から聞こえるコタの鳴き声を聞き、笑っていた。
たしかにそうだ!今年になりごはんをふやふやごはんにしてからというもの、毎日モリモリ食べ、いいウンチをして、鳴き声も何だか力強くなっている。
嬉しいことに嘔吐もなくなり、たぶん体重も少し増えたように思う。
まるは息絶えた後、まるが好きだった庭の一角に傘を立てそっと置かれていた。
隣にはポインセチア。
「どうしてポインセチアなの?」と帰宅した養老先生が奥様に聞いたら、「クリスマスまで生きられなかったから」って、何だか切ないけれど可愛らしかった。
考えてみると、コタにはそういう好きな場所がない。
小さな頃からおもちゃでも遊ばない、ダンボール製の爪とぎも使わない。
好きなのはたぶん、私の腕枕の脇の下あたりとか、抱っこした私の肩のあたりに顔をうずめた感じとか…
コタは私ありきなのだと思う、ここまでの甘えっ子を私は知らない。
可愛かったまるへ
Queen - All Dead, All Dead Lyric Video (Hybrid Version)
このQUEENの曲♪All Dead, All Dead はブライアンが少年の頃に飼っていた女のコ猫とのお別れを歌った曲。
アルバム『世界に捧ぐ』に収録されブライアンが歌っており、その儚げな声が曲の雰囲気にとても合っている。
でも、私は当時からこの曲を聴くと淋しい気持ちになり、好きだけど聴きたくないような…何となく苦手だった。
でも、フレディが歌うヴァージョンの方だったら大丈夫、間奏後はブライアンの声になり、またフレディになったりしているけれど…。
そう、この間奏がなぜかすごい怖かった。
この可愛いPVを観てからは、ずいぶん軽減された気がする。
19歳になれなかったまるの分まで、コタはもっともっと生きるよ ^ ^
お読みいただきありがとうございました。