ゆるゆるループ、ときどきジャンプ。

おじいちゃん猫に音楽と映画そして日々の思いも

子供時代の私と西城秀樹<その4>'77~'79年



f:id:yuraneco:20210505174445j:plain


今日は、ロックに傾倒していく中学生になった私…
それでもヒデキは特別で、まだまだ聴き続けていた時代のことを書きます。

 

ブーメラン ストリート

 

私は卒業式というもので、実は泣いたことが1度もない。
今はすぐ泣くのが信じられないくらい泣かない子供だった。
そんな私が小学校を卒業した頃、ヒデキが出した20枚目のシングルは「ブーメラン ストリート」


www.youtube.com


知っている人の1人もいない函館の中学校に入学、子供心にものすごいストレスを感じていたのか、突然顔に湿疹そして初めて口唇ヘルペス発症 (T_T)
…というWで最悪のフェイス状態となり、しかも制服が間に合わず、卒業式に着た紺のブレザーに赤のタータンチェックのミニスカートという、嫌でも目立つ格好で何日か学校に行った。

これは後で考えると、よくいじめられなかったなぁと思うくらいなのだけど、函館のコたちはみんな優しく迎えてくれた。
札幌で小学校を3回転校している私が思ったこと、札幌の子供とは明らかに質が違う…
素朴ですれてなくてあたたかい ^ ^

初日に声をかけてくれすぐ仲良くなったコは、QUEENファンのボーイッシュな女のコ。
このコの影響で私もすぐQUEENのファンになった。

この時代、QUEEN・KISS・Aerosmithが三大人気ロックバンドと呼ばれていた。
でも実際には、Aerosmithを好きな中学生はあまりいなかったと思う。
80年代にRun-D.M.C.が「ウォーク・ディス・ウェイ」をカヴァーし、それがキッカケで再ブレークした後のエアロスミスほど、当時は王道ロック路線ではなかったから。

日本の三大アイドル=ツイスト・チャー・原田真二も人気では負けていなかった。
私の周りのヒデキファンは、大量に世良へと流れていった。
私の中では全然違うんだけど…ヒデキと一緒にしてくれるなと思っていた。
チャーは雰囲気ものだった印象。

当時も今聴いてもいちばんカッコいいのは原田真二だと思う。
40年以上前の曲、しかもまだ18歳 ♪(゚∀゚*)の時のデビュー曲「てぃーんずぶるーす」


www.youtube.com

 

ピアノ弾きながら歌って、彼のようにセンスのある日本人って、他に誰かいるかなぁ…
私が知らないだけなのかもしれないけど思い浮かばない。

ボタンを外せ

 

そして、ヒデキ22枚目のシングルは「ボタンを外せ」
この衣装がシンプルで大人っぽく、カッコいいなー ^ ^


www.youtube.com


この頃になるとヒデキの歌い方がちょっと変わってくるというのか…
部分的に声に圧をかける感じ(なんて言えばいいのかうまく言えない)が強くなってきて、それがあまり好きじゃなかった。

この動画では気にならないけど、サビ前の♪涙ぐぅませるぅ~のところ(笑)とか、個人的にはサラッと歌ってほしいのです。

ブーツをぬいで朝食を

 

23枚目のシングル「ブーツをぬいで朝食を」
この2曲の頃のヒデキはものすごい痩せていた、この衣装を着るとはっきりわかる。
それにしても身体の半分が足 (♥ω♥*)


www.youtube.com


イントロ部分のライターを使った振付けの真似をした子供が、ボヤ騒ぎを起こすという事故が何件か起こってしまい、ヒデキが番組内で目に涙を浮かべて謝罪した。
「ヒデキは悪くないよ」と翌日、学校で友達と一緒に怒った (;^ω^)
以後、ライター振付けは取りやめに。

 

25枚目のシングル「炎」
歌い出しを始め、この曲は「あ」の声の抜き方にドキッとする。
何となくがっしりと男くさくなってきたヒデキ…。


www.youtube.com



そして、26枚目のシングルが「ブルースカイブルー」なのだけど…
この曲は葬儀や出棺の時の映像を思い出してしまうため、あまり聴けない曲になってしまった。

例えば見送った猫の写真を、私はあまり見ることができないタイプ。
その感覚にちょっとだけ近い。

28枚目「YOUNG MAN」~29枚目「ホップ・ステップ・ジャンプ」
実はどうしても苦手な曲。
それでもレコード大賞を取れなかった時は、ものすごく腹が立ち、そんな腑に落ちない賞の番組はもう二度と観ないと誓った。

勇気があれば

 

30枚目のシングルは「勇気があれば」
FNS歌謡祭でグランプリを受賞した、心に染み込んでくるようなとっても良い曲。
私の好きなヒデキのシングル曲ベスト3に入っている ^ ^


www.youtube.com

 

当時のことがよみがえる受賞シーンの映像が、Youtubeにアップされていた。
それにしても当時も思ったけど、決定の瞬間のどうしようもなくちゃっちいコンピューター選出みたいな画面!
一応ドラムロールはバックに鳴っているけど、ピピピピピピピピピピピピピッツ西城秀樹さん!!
賞の重みが薄れそうになるくらい (;^ω^)の安っぽさだったため、ものすごくよく覚えている。
これは時代のせいだけではない…と思う。

f:id:yuraneco:20210507193811p:plain

マネージャーのあまがいさんが出てきて、ヒデキは泣くのをこらえて歌い、同じ事務所の岩崎宏美が号泣している…
今見ても涙が出る。
そして、この曲を最後にヒデキからは卒業してしまった、後ろめたさのようなものもあふれてくる。

「勇気があれば」の前だったか後だったか、もう記憶が曖昧なのだけど…
小学校の時の友達3人でヒデキのコンサートを観に行った、私にとっての最後のヒデキのコンサートだ。

そのお話はまた次回。
お読みいただきありがとうございました。


にほんブログ村 音楽ブログ 音楽のある暮らしへ