前回の記事と時代が交錯してしまいますが、引き続きヒデキのお話です。
あっさり書くつもりが、色々と思い出し止まらなくなってきたー (;^ω^)
ここは自分のメンタル上げるためにも、しばらく続けさせてくださいませ。
小学2年生の時からヒデキのファンだった私は、当時からシングルを買い集めるのではなくアルバム派。
毎年お年玉で、中学3年までLPレコードを購入していた。
それらのレコードはすべて残っており、今は弟の手元にある(たまに聴いているようだ)。
私は、亡くなられた後に発売された何種類かのDVD-BOXやCDを大人買いしてしまいました (๑>◡<๑)
私がコンサートで観たヒデキはこの時代 ^ ^
それにしても3枚目のシングル「チャンスは一度」、最初に何で見たのかうろ覚えだけれど、たぶん5分くらいのミニ番組(歌手をニュースのように紹介する)で見たのかなと思う。
次の4枚目のシングル「青春に賭けよう」は、なぜか父の車で聴くテープに収録されていた。
この時代の車で聴くテープってすごく大きなもので(カセットテープではない)、何かガチャッとはめ込むような代物だった記憶が…。
父はシャンソンと石原裕次郎が好きな人だったため、なぜヒデキの曲の入っているテープがあるのか当時は不思議だったけれど…
それはきっと私のために用意してくれたのだろう、色々な歌謡曲の中の輝ける1曲だったため、いつも流れるのが待ち遠しかった。
5枚目のシングル「情熱の嵐」なんかをあらためて聴いてみると、ブラス・ロックでありグラム・ロックにも聴こえる、とてつもなくカッコいい曲であることに気づかされる。
でも、リアルタイムでは次の6枚目「ちぎれた愛」の方が、セリフに赤面しながらも好きだった。
7枚目「愛の十字架」はヒデキの迫力ある歌唱が何か怖いくらいで、実は苦手だった。
この曲に限らずヒデキの曲の歌詞は、許されない愛、何かを背負った愛…
みたいな世界観のものが多く、子供心に何だか重~い苦し~い感じを受けつつのめり込む(笑)、私はませた小学生だったのかもしれない。
実際に次の8枚目「薔薇の鎖」の頃まで、クラスにヒデキ・ファンはいなかった。
そして9枚目「激しい恋」10枚目「傷だらけのローラ」と、カッコいいアクション時代が続く。
1974 激しいkoi
このグリーンの衣装が好きだった ^ ^
当時の私がバレエ教室で着ていたレオタードも、もう少し深い色のグリーンだった。
子供たちは、ピンクや水色などの淡いパステル調の色のものを着ているコがほとんどだったけれど…
私の場合は、母の「渋い色の方が可愛い」との選択により、ただ1人グリーン着用。
ヒデキとおそろい❤とか思いながら、ちょっと踊りも上手く見える効果があったような (;^ω^)
そして、「傷だらけのローラ」のカッコよさに隠れ、個人的には受け入れられない曲、11枚目のシングル「涙と友情」…
タイトルからして何か演歌くさいというのか青春歌謡のようで、“え~っ何これ?”と思った、今も思う (;^ω^)
ヒデキは大好き、でも苦手な曲や嫌いな曲もあり、それらもけっこう覚えていたりする。
ちょっと余談なのですが74年前後あたり、ビートルズの ♪ハロー・グッバイが頭から離れなくなるくらい好きだった。
でも、どこで聴いたのかが曖昧で、自分の中ではサイダーのCMで流れたように記憶しているのだけど、その情報が見つけられない。
もしかしたらヒデキがコンサートで歌ったのかも…
と思ったりもしたけれど、♪ハロー・グッバイを歌うイメージがないのです。
小学生の時死ぬほど聴いた「ヒデキ・イン武道館76’」というライヴ・アルバムで、ウイングスの ♪心のラブ・ソングを歌っている。
今聴くとちょっとキツいかも、特に芳野藤丸さんのコーラスとか (;^ω^)
こちらは78年の ♪心のラブ・ソング
西城秀樹 C2 「心のラヴ・ソング(Silly Love Song)」 from バレンタインコンサート
この頃はすでに私、ロックに傾いていますが、それでもヒデキは別腹 (;^ω^)
このバレンタインコンサートのアルバムは、QUEENに負けないくらいひそかに聴いていた。
ロッド・スチュワートがカヴァーした ♪キープ・ミー・ハンギング・オン(シュープリームス/ヴァニラ・ファッジ)も、ヒデキは歌っている。
You Keep Me Hangin' On. H☆
同じくらいの時期、ロッド・スチュワートの「スーパースターはブロンドがお好き」が売れ、♪キープ・ミー・ハンギング・オンが収録されている前アルバム「明日へのキック・オフ」もそのタイミングで聴いたけれど、演奏がえらく長くて私はちょっと飽きてしまい…
ヒデキのヴァージョンの方がいいかもと思った。
このアルバムはロッドの名曲ぞろい ^ ^
♪ホット・レッグス もヒデキが79年のコンサートで歌っていたような遠い記憶が…
いや、定かではないけれど。
Rod Stewart - Hot Legs (Official Video)
ヒデキはロッドの影響をもちろん受けていただろうし、バックバンドの芳野藤丸さんはフェイセズ日本公演の前座に出ていた人だ。
ヒデキの中年以降、個人的には勝手に、ロッドのようにスタンダードな曲も歌う歌手の姿を重ねていたけれど、残念ながらちょっと違う方向に行ってしまった…。
でもそれはヒデキのせいではなく、当時の日本の音楽シーンがヒデキの活かし方をわからなかったというのか、ちょっと時代が違ったのかもと思ったりするのです。
お読みいただきありがとうございました ^ ^