お題「おじいちゃん・おばあちゃん」
生まれた時から父方母方共に、おじいちゃんはすでに亡くなっていたため、私はおじいちゃんを知らない。
可愛いおじいちゃん、頑固なおじいちゃん、道楽おじいちゃん…
そんな話を聞くだけで実感は伴わないのです。
残念ながら、今年の春で閉院してしまった漢方専門クリニックに、何年かお世話になっていました。
その病院の先生は、私の中での可愛いおじいちゃん代表選手 ^ ^
午前中の診察が終わったら、白衣のまま自転車でどこかへ出かける先生が可愛らしかった。
またどこかで、ばったりお会いできたらいいな。
父方のおばあちゃんはあまり覚えていないけれど、生まれたばかりの弟がいたのでたぶん私が3歳の頃ー
入院していた病院を退院し、うちに来ました。
2階の一室で、いつも眠っていた姿しか記憶にありません。
母に「おばあちゃんは病気で寝ているから、お部屋に行ったらダメよ」って言われたけれど、私は何度かこっそりのぞきに行ったもの…
のぞいてみるだけで、中に入りそばに行く勇気はありませんでしたが。
私の中で、父方のおばあちゃんはちょっと怖い感じ。
でも、これは写真からの印象(商売をしていて、大柄で男勝りなイメージ)。
あとは母方のおばあちゃんからインプットされた情報も、多分に含まれているかと思われます (;^ω^)
その後、亡くなりましたが、その時の記憶は全くありません。
そして母方のおばあちゃんは、13年前に看取りをしました、91歳でした。
長い間、寮母さんとして働いていたおばあちゃんが退職し、実家で一緒に暮らし始めたのもつかの間…
私は東京へ行くことになり、あまり一緒にはいられなかった。
その後、一人娘(私の母)を先に亡くしたおばあちゃんは、10年ほど弟と一緒に暮らしていました。
弟が結婚することになったのと、おばあちゃんを日中1人にしておくのが危なくなってきた時期が重なったため、思いきって私が一緒に暮らすべく、東京を離れ札幌へ戻ったのです。
小さな頃からいっぱい可愛がってもらい、大好きだったおばあちゃんでしたが、2人っきりで一緒に暮らしてみると、なかなか難しいことも正直ありました。
そんな中、私がおばあちゃんに暴言を吐く事件が!
越してきて1週間たったある日、朝起きるとぴったんの姿がありません。
あれほど念を押してお願いしていたのに…
おばあちゃんは、窓を少しあけっぱなしにしてしまったのです (T_T)
ぴったんが外へ出るには十分の隙間、3階の窓から地面へ飛び降りるくらいは簡単だったことでしょう。
自分がしてしまったことの重大さに気づいていないおばあちゃんを、私は責めました。
「ぴったんが見つからなかったら、おばあちゃんのこと一生許さないから」
捨て台詞を吐き、半泣きでぴったんを探し続けました。
のらさんだったのが、いきなり知らない場所へ連れてこられ家に閉じ込められ…
ぴったんには不安しかなかったと思います。
探しても一向に見つからなかったぴったんですが、何と3週間ほどで自ら帰って来てくれました。
早朝、朝日を背中に浴びながら、東向きの私の部屋の窓の下へ一直線に走ってくるのが見えました。
目の前の霧が晴れるかのように視界は開かれ「ぴった~ん!!」って叫んだ私。
驚いたのか、ダッシュで逃げられちゃいましたが (;^ω^)
その後、毎日夜になるとごはんを食べに帰ってくるけれど、警戒されどうしても捕まえることのできない日々が続きます。
自力での捕獲はあきらめ、知人がらみでタヌキ捕獲機を貸り設置、捕まえることに成功。
やっとおうちに戻ってくることができました。
(その数年後、ぴったん自分で網戸を開け2度目の脱走が…)
そんな事件から始まったおばあちゃんと私の2人暮らし。
頭はしっかりしていたし、頑固さも健在(私の性格は母よりお婆ちゃん似)。
10年くらいは一緒に住むのを覚悟していたのに、風邪をこじらせ肺炎を起こし、呆気なく逝ってしまいました。
あの日、おばあちゃんへ言い放った言葉はきつかったなーって、時々思い出します。
猫と暮らしていないと、何気に窓を開けてしまうなんて普通にあること…。
そして、そのお返しかのように、当時まだ元気だった私の最初の猫のことを、おばあちゃんは「どら猫」と呼んだ。
…どら猫ってひどい (-"-;)
それにしてもサザエさんの歌以外で、この言葉を使う人がいるなんて!(と思った)
いちばん大きかった頃は、10kg超えした山猫のように大きな猫さん。
誰よりも優しく、鳴き声は可愛らしく、見た目も性格もこれほど男前なコを私は見たことがない!
おばあちゃんにとってのどら猫は、私の特別な自慢の猫でした (ΦωΦ)
*どら猫=盗み食いなどをするずうずうしい猫。また、野良猫。
もう~どら猫じゃないってば、おばあちゃん ^ ^